なぜ人間はギャンブルを好むのか
全てのギャンブルにはテラ銭というものが存在します。
宝くじ、競馬、パチンコ、フリー麻雀、どの勝負をとっても当たる確率とリターンを掛けて、1以上になることはありません。
1からこの値を引いたものが控除率といって胴元の利益になるものです。
宝くじなんかは控除率は54%と異常に高く、つまるところ1000円の宝くじを買うという行為は長い目で見たら、1000円で460円を買うようなものなのです。
カジノも例外ではなく、自然確率と大数の法則で、長くやれば必ず誰でも負けるようにできています。
しかし例年ラスベガスを訪れる日本人は後を絶たず、スマホを含めたオンラインカジノの日本人ユーザーは増加傾向にあります。
古今東西なぜこれほどまでに、理論的には負けると分かっているギャンブルというものが廃れることはないのでしょうか?
今回はこの点を深く考えてみたいと思います。
まず誰もがギャンブルをやろうとする時、負けようと思ってプレイする人はいるでしょうか?
いやいませんよね。誰もが勝つつもりでやり、負けた自分をイメージする姿なんて考えていませんよね。
そこには必ず大小の期待があり、それに伴うリスクを承知の上で決断しているのです。
これは人生やビジネスも一緒で挑戦には必ずリスクを伴います。
人間の本能には面白いことに、自分の都合よく解釈してしまうところがあり、人間は僅かな控除率を差し引いても自分は負けないはずだと思ってしまう生き物なのです。
頭の中の期待値と実際の期待値には差があり、やらないことは損だと考えてしまうのです。
また長くやっていると流れを読み、今度はこれがきそうだと思ってしまうのです。
流れがあるのかどうかは別として、確かにダイスやルーレットの目には流れがあるように見えます。
競馬の予想なんかもこれと一緒です。
パチンコなども一時的に勝つ時はざらです。
勝ったり負けたりを繰り返しながら、勝っている瞬間の喜びは脳に鮮明に刻まれ、自分は勝つ能力があると信じてしまうのです。
別の要素としてはエンターテイメント的な体験をしたいという要求も含んでいます。
ようは楽しさで、そのギャンブル空間のデザインや付随したサービスに心地の良さを求めてしまうといったものです。
たった数百円~数千円の宝くじを買っただけで3億円が当たる可能性を買うというのも、「夢」を買うと思えば確かにその効用は値段以上だと思います。
負けてもその効用が価格に相当するものだと考えれば、やはり次もドキドキしながら挑戦するのです。
どうやら人間の遺伝子には「ハイリスク・ハイリターン」への永遠の憧れが埋め込まれているらしいですね。
ギャンブル依存症というのはこれらの本能が覚醒してしまった状態といえそうです。
もう一度言いますが、ギャンブルは誰がやっても長期的には必ず胴元が勝つようにできていますからほどほどに付き合って下さい。